現代では、悩みが全くない人などいないかもしれません。
子どもから大人まで誰もが悩み、迷い、ストレスを抱えているでしょう。
どうやって生きて行ったら良いか分からないほどの大きな悩みもあれば、今晩のおかずはどうしようかという些細な悩みもありますよね。
それでは「悩み」とはどこから生まれ、どのようにして解消されていくものなのでしょうか。
今回は仏教の教えから悩みについて考えてみました。
悩みはどこから来る?悩まない人間はいない
仏教には「無明」という言葉があります。
これは真理(正しい物事)が明かされていないことを表し、「無知」とも言い換えられるでしょう。
お釈迦様は、この無明によって人間が悩むのだと説いているそうです。
つまり、あらゆる悩みは「分からないこと、知らないことが根本的な原因である」というのが仏教の考え方でしょう。
どんなに頭が良くても、この世の全てを知っているという人はいません。
人間である以上、頭で何かを考え何かを知りたいと願うのは当然のことです。
人間は生きているからこそ悩み、真理を追い求めているのかもしれません。
「意味のある悩み」or「無意味な悩み」?乗り越えられるか否か
人間が持つ自我によって、2つの悩みが生まれるといわれています。
一つは自分の努力によって乗り越えられる「意味のある悩み」です。
例えば大学を受験する人は、「合格するためにもっと努力しなきゃ」と悩んだり不安になったりすることがあるでしょう。
一生懸命努力すれば手が届く目標であれば、その悩みによって自分を成長させることができます。
もう一つは自分の努力ではどうしようもない、「無意味な悩み」です。
例えば、全く英語が話せないのにアメリカのスタンフォード大学を受験したいというのは無謀すぎますよね。
この場合、「合格できるか不安」というのは全く意味がない悩みです。
悩んでも意味のないことは考えない!自分を高める悩みを持とう
人間関係においても、意味のある悩みと意味のない悩みがあるでしょう。
少し努力すれば振り向いてもらえる恋なら、相手の好みを研究したり効果的なアプローチをしたりすることで叶う可能性があります。
しかし、相手の勝手な解釈や勘違いで嫌われてしまったり、こういう人だと決めつけられてしまったりした場合はそれを変える必要はありません。
人のことをよく知らないのに、なんとなく気に入らないから冷たくしたり、悪口を言ったりする人っていますよね。
そういう人の気持ちを変えようと努力するより、自分を愛してくれる人、認めてくれる人を増やすことの方に価値があります。
多くの悩みに囚われている人は、自分が意味のないことで悩んでいないか、その悩みを乗り越えた先に自分の成長が待っているか考えてみてはいかがでしょうか。
人間が悩むのは、当たり前であり必要不可欠なことです。
悩んだ先に見えてくる光こそ、あなたをまた一つ大きく成長させてくれるでしょう。